自助努力の精神が

息子を合格に導いた

 

お母さんが多忙で子どもの勉強を見てあげられない中、努力と工夫で受験を乗り越えた、合格を勝ち取った親子の体験です。

 

薬師寺 令子さん(仮名・東京都)

長男:やすしくん(仮名・中3) 

次男:はじめくん(仮名・中2)

 



 

甘えん坊だったはじめ

 

やすしと、はじめの二人の息子は、同じ私立中学に通っています。

 

「中学受験は親の役割が大きい」と巷では言われますが、わが家の場合、母親の私が働いていて、おまけに、はじめの受験中に飲食店を始めたので、忙しさのため勉強の手助けはほとんどできませんでした。

 

それでも合格できたのは、幸福の科学で「自己責任と自助努力の大切さ」を教えていただき、環境に言い訳せず努力できた結果だと思います。

 

私立小学校に通っていたやすしと違って、公立小学校に通っていたはじめは、わが家の引っ越しに合わせて、三回も転校しました。

 

学校ごとに教科書や学習の進度も違うので、授業についていくのがやっとでした。

 

私は、(こんな環境では、はじめを勉強でしごくのもかわいそう。)と思い、好きに遊ばせていたのです。

 

はじめは甘えん坊で、いつもやすしの後ろにくっついているような子でした。

 

ところが、やすしが中学受験をするのを見て、はじめは四年生の終わりごろ、「私立中学に行きたい。」と言い出し、塾に通いはじめたのです。

 

 

 

受験は決意したけれど……

 

受験勉強を始めるにあたり、私ははじめに、「お母さんは、忙しくて勉強見られないから、自分でやろうね。でも、他にできることは協力するから。」と言いました。

 

しかし、はじめの勉強の姿勢は、以前とほとんど変わりませんでした。

 

塾の宿題をやらずに、友だちに誘われるままに遊びに行ってしまうこともしばしばで、宿題はたまる一方。

 

私がついて見てやれないのが、勉強しない言い訳になっていた部分もあったかもしれません。

 

実際、毎日私があまりにも忙しくて十分に見てやれませんでした。

 

そこで毎日、はじめがその日に勉強したノートやプリントの量を見て、勉強ペースを調整することにしました。

 

勉強量が少ない日には、翌朝、はじめに「もっと勉強しなさい。」と、きつく言いました。ところが、これを毎日のように繰り返していると、はじめはかえって反発するようになり、塾のテストも低い状態が続きました。

 

(はじめの反発の原因は、もしかして私の方にあるかもしれない……。)

 

そう思って、私は自分の心を見つめていきました。すると、子どもに「勉強しなさい。」と言っていたのは、実は「受験に失敗したらどうしよう。」という私自身の不安を打ち消すためだったことに気づいたのです。

 

 

 

自分で努力する姿勢に変わった!

 

それからは、「勉強しなさい。」と、うるさく言うのはやめ、はじめを信じて見守ることにしました。私がそれほど言わなくなると、かえってはじめには「自分でやらなければ。」という気持ちが芽生えたようでした。

 

以前から私が口グセのように「何事も自分で努力していくことが大切なのよ。」と言っていたのが、このころになってやっとはじめの腑に落ちてきたのでしょう。

 

五年生の二学期ごろになると、はじめは人に言われなくても、自分からすすんで勉強するようになっていったのです。次第に勉強の成果が現れ、六年生の一学期ごろには、塾の成績は上がっていきました。

 

そのうち勉強のコツがわかってきたはじめは、「考えて解くのが面白い。」と言って、算数の図形の問題などにも、自分から果敢にチャレンジするようになりました。

 

六年生の二学期には、「お兄ちゃんと同じ中学がいい。」と、自分で志望校を決めました。

 

ヘルメス・エンゼルズ』で、「過去問を繰り返し説くことの大切さ」を学んでいたので、さっそく志望校の過去問に取りかかりました。

 

志望校の国語の試験では、はじめが大の苦手とする作文が必ず出題されます。そこではじめは、国語の得意なやすしに作文を教わることにしました。やすしのお手製の問題をやっては添削を受け、こつこつ努力するなかで、苦手な作文を克服していったのです。

 

 

 

受験で精神的に自立できたはじめ

 

はじめは、十年分の過去問を七、八回解き、自信がついたようです。

 

そして、二月に志望校の試験を受けました。翌日の発表では、なんと合格できたのです――。

 

今年の春から、息子二人は同じ中学に通っています。

 

受験を経て、はじめは自分で考え、行動する姿勢が身につきました。

 

今後も「努力」を人生の指針として、親子ともども頑張りたいと思います。