息子の子育てを通して、

多くの人の愛に気付けた

 

高機能発達障害的な傾向を持つお子さんと向き合う中で、

多くの人たちの愛に気づくことができたお母さんのお話です。

 

宮田亮子さん(仮名・福岡県) 健くん(仮名)



パニックをおこす健

 わが家には四人の子どもがいます。次男の健は、幼い頃からどこか他の子とは違う個性的な面がありました。

 健は、校庭で一列に並んでいるところを「二列になって」と言われただけで、その場で固まってしまったり、先生に間違いを指摘され機嫌を損ねると掃除用具のロッカーにこもって出てこなかったりすることがあったのです。

 参観日に、「ハイ! ハイ!」とうるさいくらいに張り切って手を上げる健。当ててもらっても、すぐにまた大きな声で手を上げるので先生も困り顔です。

 

 (周りのお母さん方はどう思っているだろう。恥ずかしい……)

 

 そんな時、いつも私はひどく肩身の狭い思いをしていました。健を見ては常にハラハラのし通しだったのです。

 一年生の三学期、私は意を決して健を連れて特殊教育相談センターに相談に行きました。

 

 「健君の場合は、知能は正常ですが空間認識が少し難しいようですね。社会生活に支障が出るようでしたら高機能発達障害ということになります」

 

 相談員の方の言葉に、私はショックを隠せませんでした。

 

私の被害妄想

 そんな中、わが家の引越しに伴い、二年生の二学期から健は他の小学校に転校になりました。担任の先生が、健のことを心配して、その日あった出来事を毎晩電話で教えてくれます。

 でも私は、不安が先立ち、電話が鳴るたびに(今日は一体何をしたんだろう?)と、落ち着きませんでした。

 今思えば、この時期、きょうだい達にもちょっとした問題がおこるなど、家の中も荒れていました。あれもこれもと心配になって(とにかくがんばらないと)と、思いだけが空回りしていました。

 三学期に入ったある日。一緒に幸福の科学の教えを学んでいる友人から東京正心館への参拝に誘われ、出かけることにしました。

 訪れた東京正心館の礼拝堂では、神様の光に包まれたような気がして気持ちが軽くなりました。その帰り道――。

 

(私、健の行動をいつも裁いていたけど、健のことを理解していなかったのかもしれない)

 

 その晩、改めてこれまでのことを考えてみました。しばらくすると、健に親身になって関わって下さった方々の顔が浮かんできました。

 

 (そういえば、前の小学校の先生にもお世話になったな)

 

 特に担任の先生とは、まるで交換日記のように、毎日その日の出来事を連絡帳に書いてやり取りしていました。高機能発達障害的な傾向があったとしても、訓練によってほとんど普通の子と変わらない行動ができるようになると聞いていました。私は「こういう状況の時にこんな行動をとった」と先生に教えてもらい、対応策を考えていたのです。

 健のためを思ってのことでしたが、一方で、いつも周りの人に分析されているようで、「かわいそう」という気持ちがぬぐいきれませんでした。

 でも、本当はそうではなかったのです。

 

 「健君にはいいところがいっぱいあって、みんなに慕われているんですよ」「最近は少し落ち着いてきたようですね」と、優しい言葉をかけて下さる先生の笑顔が思い出されました。

 

 (みんなが健のことを気にかけて、受け入れてくれていたんだ。今だって、先生が毎晩電話をくれるのも大変だろうに。変な目で見られていると思い込んで、それを恥ずかしいと思っていたのは、私の被害妄想だったんだ――)

 

 胸が詰まる思いで、涙が止まりませんでした。

 

多くの人に愛され、支えられていた

  (長女も長男も、健の面倒をよく見てくれる。主人も、健が不安になると、「大丈夫」と背中に手を回して声をかけてくれていた。それなのに私は、世間体を気にして健の行動を恥ずかしがっていた。私が健を一番受け入れていなかったんだね)

 

 思い返してみると(みんなと同じことがどうしてできないの)と裁いている私の気持ちを、健は敏感に感じ取っていたのだと思います。

 だから余計不安になって、些細なことでパニックを起こしていたのかもしれません。

 

 (健も私も、たくさんの人に愛されてきたんだね。おじいちゃんやおばあちゃん、それにお父さんや子ども達、みんなに支えられていたんだ)

 

 私はそれと同時に、健にばかり気を取られて、家族に思いが向いていなかったことも反省しました。それからは、毎日のお祈りの時に家族に感謝をし、一人ひとりへの「行ってらっしゃい」の一言に愛情を込めるように心がけました。

 そして、主人や子ども達の話をじっくり聞くようにすると、家の中の雰囲気がなごやかに変わってきました。

 

神様の愛を実感して

 健は同時に二つ以上のことを言われるとパニックを起こしやすいので、「まずはこっちを考えようか」と誘導するようにしています。

 また体育などで「まるくなって」と言われても理解できません。事前に、「こうやって動くのよ」と具体的に体を動かしてパターンを覚えさせ、「練習してもうまくいかないことはあるけど、それでも大丈夫なんだよ」と繰り返し伝えています。

 そうしていくうちに、健のこわばった感じが抜けてきたように思えます。

 近頃は、朝の出欠の確認で名前を呼ばれると、小声ながらも「はい」と返事をしたり、近所の人にも少しずつ挨拶をするようになりました。

 おばあちゃんがお風呂に入っていると肌着を出してあげたり、家族の布団を敷いてあげたりする健の優しさに、(この子も家族を支えているんだ)とハッとさせられることもありました。

 四年生になって、ずっといやがって参加しなかった体育にも参加するようになり、今まで斜線が引かれていた成績表にも成績がつけてもらえるようになりました。

 幸福の科学の教えという心の支えと、健に必要な知識を得ることで、私のなかに「心を揺らさず問題に取り組んでいこう」という強い思いが芽生えてきました。

 これからもありのままの健を受け入れ、周りの人に感謝しながら、人を支えられるような生き方をしていきたいです。