積極的で

笑顔いっぱいの娘に変わった

 

心配症の母親が、心配性を克服し、自分の心を見つめることで、

安らぎと愛に満ちた母親へと生まれ変わった体験談。

 

遠山朝美さん(仮名・山口県) 里香さん(仮名・小5)



心配が募っていく……

 去年の夏休み前、四年生の娘の里香がもらってきた通知表を見て、私はがっかりしました。

 

 「自分の意見を言えるようになろう」

 

 里香は二年生ごろから、毎回のように同じことを書かれていたのです。

 

「この先、本当にこのままで大丈夫かな……」

 

私は、子どもたちのことでちょっとしたことがすぐ心配になり、いつも悲観的な未来を想像してしまいます。

 

 実は、私の母は、私を産んですぐに亡くなっています。私は養母に育てられたのですが、養母はかなり心配性の人でした。そのことから、「私のこの性格は育ての母の影響かもしれない」と感じていました。

 

 

型にはめようとする子育て

 その年の十月、私は、大分県にある幸福の科学の精舎、湯布院正心館に行き、大川隆法先生の御法話「子どもたちの試練と自立について」を拝聴しました。その後で、以前から気になっていた養母との関係についてゆっくり振り返ってみたのです。

 

 養母は、私に「あなただけが生きがいよ」と言っては、いつも干渉してきました。私はそんな養母をうっとうしく感じながらも、何も言えませんでした。

 

 改めて思い返すと、当時の私は、実の子ではないという負い目から「いい子でいないとこの家にいられなくなる」という不安を強く持っていたことに気づきました。

 

 その結果、「親の言う通りにしないと、何か悪いことが起きる」という思いこみが心に染み込んでいて、その思いが現在の子育てにも表れていたのだと思いました。私は子どもに悪いことが起きないように、常に「こうでないといけない」と考えがちで、里香を枠にはめようとしてしまい、里香が枠から外れると不安になりました。

 

 

わきあがった前向きな気持ち

 そして、次に、養母の立場に立って考えてもみました。

(そういえば子どもの頃、琉球舞踊の稽古に、お養母さんは毎週ついてきてくれたっけ。発表会の時も私のお化粧を一生懸命してくれて、舞台裏で見守ってくれた……。それに私が出産した時、「朝美が子を産んだ」って喜んで、足が悪いのにタクシーで一人で病院まで駆けつけてくれた。お養母さんは、私を精一杯愛してくれていたんだ。)

そう思ったとき、養母へのわだかまりがスッととけていき、感謝の気持ちが湧いてきました。

 

 (仏は「まったく問題のない家庭などない」と説かれている。

 そして育った家庭の影響から脱していく道を

 教えてくださったのだから、

 私も仏法真理を学んで努力すれば、

 きっと変われるはず)

 

そう思うと、前向きな気持ちがわき上がってきました。

私は決意しました。

 

 「今の穏やかな心を忘れないでいたいなあ。

 これからは、もっと子どもの明るい未来を信じていこう。

 そして、大きな愛で包み込めるような母親になっていこう──」

 

 

「愛あふれる母親」を目指して

 早速、私は、子どもを心配するクセを変える努力を始めました。毎日、子どもが学校へ行った後、御本尊の前でお祈りをしました。

 

 「子どもが持っている素晴らしさを発揮できますように。

 主よ、お守りください」

 

 続けるうちに、徐々にですが、里香が笑顔で生き生きしている様子をはっきりとイメージできるようになりました。次第に、子どもについて悲観的なことを考える事が減っていきました。

 三カ月ほど経ったある日のこと。学校から帰ってきた里香が淡々と私に言いました。

 

 「今度の学芸会で『青い鳥』をやるんだ。

 チルチルとミチルの『ミチル』役に決まったよ。」

 

 (えー、うそー! おとなしい里香が主役? 本当にできるの?)

 

つい、そう言いそうになったところで、言葉をのみ込みました。

 

 「そうなの。立候補したの?」

 「ううん、推薦された。みんなが『里香はミチルに似てる』って。」

 「へえー。よかったねー」

 

「あなたはやれば何でもできる。」

 それから本番までの一カ月間、私は里香の成功を信じ祈り続けました。

 

 そして、ついに本番――。

 

 私は、堂々と主役を務める里香の姿に胸が熱くなりました。内向的だと思っていたけれど、こんなに前向きで強い子だったとわかって、本当に嬉しかったのです。

一カ月後の学期末。里香の通知表には、先生から次の言葉が添えられていました。

 

 「学芸会で新しい自分を発見したと思います。

 あなたはやれば何でもできるのですから、

 色々なことにチャレンジしてください」

 

私は「子どもを愛するということは、心配することではなく、子どもの可能性を信じて、その成長を支援していくことなのだ」と、今、実感しています。

 

 これからも、仏法真理を学びながら、子どもの個性の輝きを見出す努力を続けて、愛あふれる子育てをしていこうと思います。