「愛されている」という

実感が自信となった娘

 

結婚10年目にして初めて授かった待望の娘。

「甘やかさない」という子育てが、

裏目に出てしまったママの体験です。

 

及川 理恵さん(仮名・青森県) しずかさん(仮名・小4)

 



 

「頭が痛くて学校に行けない

 

 結婚十年目にやっと(さず)かった待望の娘。私は、出産後も、近くに住む実家の母に娘を預け、主人の開業している歯科医院の手伝いを続けることに。

 

ところが、小学校三年生の終わりから、「頭が痛い」と言って朝からぐずぐずしていたり、「学校に行きたくない」と言い出したりと、次第に学校を休みがちになっていったのです。なんとか(だま)しだまし、三年生が終わりましたが、四年生になると、さらにその傾向が強くなっていきました。家にいると元気になるので、学校に行かせようとすると泣き出す、そんな日をくり返していました。

 

 なかなか状態がよくならないので、思いきって一週間ほど学校を休ませ、その間にじっくりと話を聞いて原因を探ってみることにしたのです。

 

 娘に、「何かお母さんにしてほしいことある?」と聞くと、「一緒に寝てほしいな」と言うのです。私は、そんなことならと(こころよ)く「いいわよ」と返事をしました。

 

 すると、「いいの? 夢のようだなー」と本当にうれしそうな顔を見せたのです。

 

 私は娘の笑顔を見て、ドキッとしました。

 

 思えば、昔から、「お母さん、私のこと好き?」と何度も聞かれ、そのたびに「大好きよ」と応えていました。私は(こんなに愛しているのに、なぜいつもそんなことを聞くのかしら)と疑問に思うだけでした。私と娘のやりとりを見ていた母から、「この子はお母さんと一緒にいたいんじゃないのかしら」と言われたこともありました。

 

 私は、「一人っ子はワガママになりやすい」といつも周りから言われ、そのことがとても気になっていたのです。そのプレッシャーで、必要以上に、「甘やかしてはいけない」と、力みすぎて、娘の寂しさにずっと気づけていなかったのです。

 

 

お母さんにしかできないこと

 

 私は、今回のことも、「学校に行くのが当たり前」という前提で娘に接していましたが、学校のことも、生活習慣に関しても、「できて当たり前」という私の気持ちが、娘の心を(しば)っていたのだとわかりました。

 

 「お母さんは私にしてほしいだろうけど、私にもできないことがあるんよ」と言っていた悲しげな娘の顔……。

 

 一人っ子の娘は、おじいちゃんやおばあちゃん、そしてお父さんからの愛を一身に受け、とてもかわいがられ、愛されています。それでも、一番心を向けてほしかったのは母親である私だったのです。 

 

 娘は一週間ほど休むと、なんとかまた学校に行けるようになりました。

 

 でも、この間に、一番多くのことに気づかされたのは、私自身でした。

 

 

努力と祈りで自信がついた娘

 

 それから少しして、「お母さんと一緒に勉強してみる?」と、娘に聞いてみました。

 

 その瞬間、娘の目が輝き、

 

「私のこと、どうでもいいのかと思ってた」とポツリとつぶやいたのです。

 

 一緒に寝てほしいことが娘の願いだったことに重ね、これまでの母としての自分がいっそう情けなく、娘に申し訳なく思いました。

 

 それからは、娘の勉強を見てあげることを日課に、勉強を通して「娘と向き合う時間」を増やしていきました。優しい問題を自分で作らせて解かせたり、何度も同じ問題にチャレンジさせて、できる度にほめてあげるようにしたりと、工夫していきました。理解できていないところを確認しながら、丁寧(てい ねい)に教えていきました。

 

 さらに、仏の子であるという自覚を持つことで娘が元気になるはずだと信じ、勉強の前と後に、お祈りを入れることにしたのです。

 

「今日もお勉強させていただいてありがとうございます。分からないところが分かるようになるまで、何度もチャレンジしてがんばります」

 

 毎回、私の後に復唱する形で、お祈りをしてから勉強を始めるようにしました。私は、一瞬の静かなお祈りの時間に、娘と心が通い合うイメージを描きました。

 

 いきいきとしてきた娘の変化を見るにつけ「愛されている実感を得ること」が、本人の自信につながっているのだとはっきりと分かりました。

 

  私は、娘のプチ不登校を機に、子育ての最も大切な部分を教えられた気がします。