他の子との比較をやめ、

息子の個性を愛せるようになった

 

わが子を他のお子さんと比べて一喜一憂してしまう――。

今回は、他人との比較に苦しんでいたお母さんが、わが子の中にある大切な宝物を見つけることのできた体験談です。

 

井本康子さん(仮名)(福岡県)・

康平くん(仮名)・徹くん(仮名)



不安性の私

 私は、人から「趣味は何ですか?」と聞かれると、「子育てです」と答えます。

 子育ては大変だけど、母親でいられることは本当に幸せなこと。そう思えるようになったのは、康平(長男)と徹(次男)の二人の息子のおかげです。

 結婚七年目にしてようやく授かった康平が生まれたときは、何もかもが不安でした。湿しんが出るとオロオロし、洗濯済みのおしめの枚数が少なくなると、「すぐ洗わんと」と焦りが募ります。眠っている康平のもとに何度も足を運んでは、「ああ、息をしている。よかった」と確認しないではいられませんでした。

 

遠足の日の出来事

 康平が小学生になり、遠足の日を迎えた朝のことです。支度が遅れ、集合時間に遅れそうな時間に家を出た康平がなぜか泣きながら帰ってきました。

 

 「康平、どうしたと?」

 「ランドセルいらんやろか?」

 

 昨日、担任の先生から、「雨が降りそうだったら授業をする」と言われていたらしいのです。でもその日は、雲ひとつない快晴でした。

 

 「晴れとるから、ランドセルなんかいらんよ」

 「でも、雨降ったらどうすると?」

 

 私は、不安がる康平を途中まで送っていきました。

 その晩、この出来事を主人に話しました。

 

 「そういえばこの間も、ご飯を食べ終わったのに何もせんでジーッとしてた。私が『片付けんね』って言ったら片付け始めて……。ちゃんと自分ができるかどうかも心配みたいだし、何か関係あるんかねえ?」

 

 いろいろ考えてみても、そのときは何が原因なのかは分かりませんでした。

 私の心の問題がはっきりと見えてきたのは、次男の徹がきっかけでした。

 

ダウン症の次男

 次男として生まれてきた徹が、生まれて間もなくの検査の結果「ダウン症」だと診断されたのです。そのときには、涙が止まりませんでした。

 私は、幸福の科学で「肉体はどうであれ、魂はみな健全」と学んでいたので、(この子はきっと大丈夫)と何度も自分に言い聞かせました。

 徹は哺乳の際に吸引する力が弱く、体重がなかなか増えません。便が三、四日でないこともあり、心配でした。

 ところが、そんな私をよそに、康平は弟ができたことが本当に嬉しいようでした。

 

 「ねえ、お母さん、徹ちゃんは宇宙一かわいいねえ。

ダウン症だから、かわいいんかな?」

 

 (ああ、そうか。そんな見方もあるのか)

 

 康平の言葉に、心が軽くなった気がしました。

 

小さな成長を発見して喜ぶ気持ち

 徹は毎週、発達に課題のある子どもたちの集いに参加しています。

 あるとき、徹よりも後に生まれたダウン症の女の子が入ってきました。その子は体も大きく、今にもハイハイしそうです。

 

 (こんなに成長の早い子もいるんだ)

 

 体の小さい徹が、弱々しく見えました。会うごとに、自分から動こうとしたり、物を取ろうとするその子の成長を見て、心の中は穏やかではいられません。

 

 (徹はまだ、一人できちんと座れないのに)

 

 何とも言えない不安と焦りに襲われました。

 数日後、「お母さん。作文の宿題みて」康平がそう言ってきました。作文のテーマは、「家族の自慢」です。

 

 「おとうとは、さいきん手をつかないですわれるようになりました」

 (徹はもう十カ月だもん。普通の子だったらとっくにできるのに)

 

 そんなふうに思いながら、作文を書く康平を見ていました。

 

 「まだゼロさいなんですよ!  じまんです」

 

 私は、ハッとしました。

 

 (康平は、徹はすごいと、素直に思っているんだ!  「ダウン症だから」っていう同情もない。目の前にいる弟の小さな成長を発見して喜んでいるんだ)

 

 このとき、自分が徹の成長を他の子と比較して見ていたことに初めて気づきました。

 健常児と比べても仕方ない――。でも同じダウン症の子と比べてできないことが目にとまると心が揺れていたのです。

 その晩、私はこれまでの子育てを振り返ってみました。

 思い返してみると、徹だけでなく、康平に対しても他の子どもと比べて、「できる」「できない」で一喜一憂してきた自分がいました。

 (私の不安が康平にも伝染していたんだ。康平、徹、ごめんね。康平は康平、徹は徹なんだよね。他の誰とも変えられない――)

 子どもたちへの愛しさで胸がいっぱいになりました。

 

 他の誰とも比べる必要はない

 

 徹も二歳になる頃には、しっかり座れるようになり、物を持てるようになってきました。食事のときにスプーンを口元に持っていくとアーンと口をあけて食べます。

 ある日、康平が言いました。

 

 「ねえ、お母さん。大ちゃんにやらせてみて。こぼしてもいいやん」

 

 (私、また手を出しすぎていたんだ!)

 

康平の言うとおりやらせてみないと、徹はいつまでたってもできないままです。

 始めはご飯を口に入れた途端、スプーンを投げてしまいました。

 

(落としても、服やじゅうたんを汚してもいい。やらせてみよう!)

半月もすると、スプーンを投げたりせずに上手にパクッと食べられるようになりました。

 康平に対しても、「○○をしなさい」と言う代わりに「次に何したらいいと思う?」「何時に寝ると?」と自主性を育むようにしました。

 先日、登校前に康平が言いました。

 

 「お母さん。今日からね、学校に行くとき、外までお見送りせんでもいいよ」

 

 (ああ。私が口を出さなくても、この子も自分の力で成長しているんだな)

 

 「人間はゼロからスタートし、他のだれとも比較できない独自の人生を歩んでいる」――そのことを、私は康平の素直な目から、そして徹の小さいながらも一生懸命に成長する姿から、教えてもらいました。

 何より、そうしたゆっくりとした成長であっても、神様は温かいまなざしで待ってくださっていると思うと心の中の不安が消え感謝があふれてきます。

 

 

 康平、徹、これからも一緒に成長していこうね。